同時代の画家たち
Artistic Influences
Jan Joest
ヤン・ヨエスト
1450/1460-1519
His greatest work, scenes of the life of Christ, were made between 1505 and 1508 on the high altar in St. Nicholai's Church in his hometown of Kalkar.
Rogier van der Weyden
(c. 1435),
oil on oak panel,
220 × 262 cm.
Museo del Prado, Madrid
この「キリスト降下」の構図は他の多くの画家達に使われた。
Joos van Cleve
c. 1517-1520
Oil on panel
45 3/4 × 49 7/8 inches (116.2 × 126.7 cm)
Philadelphia Museum
Joos van Clevec. (1485 – 1540/1541)は当初ブルージュにいたと思われる
(影響を受けたと見られる画家)
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Hans Memling ハンス・メムリンク c1440-1494
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Gerard David ヘラルト・ダヴィト 1450/1460-1523
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Jan Joest ヤン・ヨエスト 1450/1460-1519
1511年にアントワープの画家組合員となる
(影響を受けたと見られる画家)
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Joachim Patinir ヨアヒム・パティニール c1480-1524
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Albrecht Dürer アルブレヒト・デューラー 1471-1528
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Antwerp Mannerist(多くは作者不明)
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Jan van Eyck ヤン・ファン・エイク c1395-1441
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Rogier van der Weyden ロヒール・ファン・デル・ウェイデン 1399-1464
Joachim Patinir
The Penitence of Saint Jerome, c. 1512–15,triptych,oil on wood,
117.5 × 81.3 cm (46.5 × 31.9 in),each wing 120.7 × 35.6 cm (47.5 × 14 in)
Metropolitan Museum of Art, New York
Patinir was a pioneer of landscape as an independent genre and he was the first Flemish painter to regard himself primarily as a landscape painter. He effectively invented the world landscape, a distinct style of panoramic northern Renaissance landscape.
1987年「17世紀オランダ風景画の巨匠たち」という展覧会がアムステルダム、ボストン、フィラデルフィアで開催された時、作品の約40%には、岩山か山岳が描かれていた。
オランダはその国土のほとんどが平野でその一部は海抜ゼロである。そのようなオランダならではの風景画も沢山ある。一方、オランダ人にとって本当の山岳は見たことはないが、特に画家にとって、あこがれのイタリーに行くのに越えなくてはならないスイスアルプスこそ、山だった。
彼らの一人は「荒涼とした」アルプス山脈、「ぞっとするような山々」険しい「断崖」、恐ろしい渓谷、山々を震わせる渓流が、そのイメージだった。
国立西洋美術館の三連祭壇画にもパティニールの影響のある山の絵が描かれている。
パティニールはJoos van Cleveがアントワープの画家組合聖ルカの組合員になった1511年、同じ年に組合員となっています。聖ルカ組合とは、近代初期のヨーロッパ、特にネーデルラントで画家など芸術家のギルドにつけられた名称で、聖ルカの名称は聖母の肖像を描いたとされた芸術家の守護聖人ルカにちなみます。最も有名な聖ルカ組合がアントワープで設立されたもので、1795年まで存続しました。アントワープを含む多くの都市の自治政府は都市内の同業者の活動を規制する権利をギルドに与えました。組合によって、規則は異なったようですが、芸術家はギルドの親方資格を取得しなければ、弟子をとったり自分の名前で作品を売ったりして生計を立てることができないこともあり、他の都市の芸術家もアントワープの組合に入ることでアントワープでの仕事に従事できました。
アントワープは衰退するブルージェにとって代わり、1560年までにはアルプス以北における最大規模の都市となりました。多くの外国商人が街に居住し、積荷が日々下ろされて、一日に何百もの船舶が往来し、2千もの荷馬車が毎週やってくると記録されています。15世紀後半にはチロル地方に点在していた銀や銅、塩の鉱山から、ハプスブルク家は莫大な収益を上芸術につぎ込みました。イタリー、スペイン、ハンザ同盟の商人などが訪れ、英国の羊毛、ポルトガル船からは胡椒やシナモンなど、スペイン人は新世界の銀や金を持ち込み、ハンガリーの錫、イタリーの絹、そのほか海産物などが取引され、銀行や、商品取引場も活況を呈しました。ヴェネツィアやジェノヴァの繁栄は各地へと赴いた地元出身の商人によって支えられていましたが、アントワープの場合は同市出身の商人が世界各地に勇躍していったわけではなく、ヴェネツィアやラグーザ(ドゥブロヴニク)、スペイン、ポルトガルなど各地からやって来た商人たちの手で支えられており、このことが都市内の多様性・コスモポリタン的性格を形成し、宗教的にも寛容で、ユダヤ教正統派の大規模なコミュニティも形成されたほか、プロテスタントの拠点ともなり得ました。その裕福な商人たちが芸術のパトロンとなりました。
Joos van Cleve
Altarpiece of the Lamentation,
1520-1525, oil on wood, Musée du Louvre
クレーフェがイタリアから注文を受けたこの絵はナポレオン軍がパリに持ち去るまで、ジェノバのSanta Maria della Paceパーチェ教会にありました。
Joos van Cleve
Adoration of the Magi 1526 - 28 oil on oak 251x185 Gemaldegalerie, Dresden
現在ドレスデンにあるこの絵はジェノバ郊外のアルバロにあるSan Luca d’Erbe教会にあったといわれます。
Joos van Cleve, Adoration of the Magi Altarpiece, c1520 -25 Oil on oak
157x138 LéR163x67 Church of San Donato Genoa
これも左のパネルでひざまずいている献呈者であるジェノアの商人、ステファノ・ラッジのために描かれジェノアのサン・ドナート教会におかれました。
On the left wing St Stephen present the donor Stefano Raggi who was a member of one of the great mercantile and patrician families of Genoa.
The king who kneels to kiss the Christ Child’s hand as “Iasper,” while the Moorish king standing at the left holds an ornate pokal bearing his name, “Balteser”.
Joseph is a rather plain and humble figure who stands behind the Virgin.